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思考体

メンタルのこととか、徒然

リセット症候群とやらでしょうか

自分は、自分のことを知る全ての人から消息を絶ちたいと思うことが度々あります。
理由は主に3つ。

①関係が壊れる前に壊してしまいたい
小学高学年の頃、クラスメートだった友人達とあまり話さなくなった時期がありました。向こうがそれとなく自分を避けていたからです。 それに気づいた自分は、自分からも接触しないようにしました。
休み時間を1人で過ごし、下校になったらさっさと帰っていました。

避けられた理由は判りません。それまでは普通に会話したりしていたんですけどね。
小学生だったんで大した理由など無かったのかもしれないです。何となく、肌に合わないから、とかそんな感じだったのかも。
喧嘩した覚えは無いですし、(記憶する限りでは)自分が何かやらかした訳でもありません。

でもそれが未だに自分の奥深くで渦巻いています。
根を張ったようにしがみつき離れません。
そんな昔の些細なこと忘れろよと思えば思うほど心に重くのしかかってきます。

そんなこんなで、上記のことだけが原因ではありませんが友人知人が増えてもいつかこの関係は壊れると思ってしまい、それを恐れ、そうなる前に自ら壊してしまいたいと思うようになってしまいました。

自分のもともとの性格は構ってちゃん且つ構いたがりなので。色々経験する中で対人恐怖も発してしまいましたが本当は人が好きでした。
だから縁が増えることは嬉しいことのはずなんですが。
いつか嫌われるんじゃないかという恐れが消えて無くなりません。見捨てられ不安に近い感じ。

関係が良好なうちに、気持ち良く終わらせてしまいたい。


②理想の自分になりたい
今、自分が嫌いです。
だから理想の自分というものが存在します。

なるべく長く関係を保つために、そしてその理想から少しでも離れない為に、相手にとって良い印象でいたいと思ってしまいます。
(実際にそうなれているかは別として、) それ故に、日常的に「この発言をして大丈夫だろうか」「この行動を取っていいだろうか」等と考えながら動くことをしています。
場面がTwitter等のSNSに変わると、「この投稿をすることで自分の印象が悪くならないか」とよく吟味・推敲したうえで投稿します。
もちろん「あの発言・行動は悪くなかったか?」といった反省会や振り返りもセットです。

本当はそんなこと気にせずありのままでいたい。
でもそうしたら絶対後悔するから、自分の心が掻き乱されないためにも「自分が見てて安心できる自分」を作り出します。

非常に疲れます。
ですが見てわかる通りこの思考の困ったところは、やめたいと思う反面、良い印象を持たれる自分でいなければ(いたい) という…強迫と願望が混ざったような気持ちがある点です。
人に好かれる自分が理想で、失望されたくないから。
好かれるかどうかなんて実際のところわからないのに。

でも、嫌われる可能性は減りますよね。

ストレス源になったとしても、理想の自分に近いと思える内は安心感を得られるから。
だからやめようとしても、ますます不安になってしまうんです。
自分を繕っても理想の自分に近づく訳じゃない。そもそも、そんな歪んだ理想像は捨てなくちゃいけない。
わかっちゃいるのになぜ出来ない。

そして少しでも「ミスをした」と思うと、全て台無しになったような気がして、一からやり直したくなります。


境界性パーソナリティ障害の影響(かも)
(かも)を付けたのは、境界性パーソナリティ障害については自己診断だからです。
ネットで見つかるようなチェックシートで診断しました。9割当てはまりました。ワハハ。

境界性パーソナリティ障害の特徴の中に、「試し行為」というものがあります。
ざっくり言うと自分を受け入れて欲しいがために人に嫌われそうな行動をわざと取るというものですね。
境界性(以下略)の人はこの「受け入れてほしい欲」が強い人が多い訳ですが、例に漏れず自分もとても強いです。
でもそんなこと人に言えません。そんな容量の大きい人間なんて滅多にいない。自分のことで精一杯って人が基本。
それに、打ち明けることでドン引きされたりしたらたまったもんじゃない。だから尚更言わない。

受け入れてほしい欲が満たされないでいると、だんだん疲れてきます。
友人はいるのに寂しさ虚しさが消えないという悪循環。
あの人達は自分と会話したり遊びに行ったりしてくれるけど、それは自分だけじゃない。対象になる人は他にも沢山いて、自分はその内の1人でしかない。
いつまでも自分と繋がっていてくれる保証なんてない。信頼を築くのは大変だけど崩すのはあっという間だ。相手の気分が変わればこの関係が終わる可能性なんていくらでもある。
それなのにいつまでこんな気を揉んでまで関係を保たなきゃいけないんだ。自分は一体何をやってるんだ。もうやめたい。

こんな思考がわいてきます。
最後の方にいくともう逆ギレとか開き直りに近いですね。我ながら呆れる。
受け入れてもらえないなら、せめてなるべく離れていかないようにしようと、②で書いた行動を取ります。

「友人」に対して求めるものが大きすぎるだろという自覚もあります。
お前のかーちゃんじゃねえんだぞって話ですよね。
友人になってくれる人がいるだけマシだろとも思います。

Twitterでリア垢を持っているんですが、なるべく見ないようにしました。
誰々が誰々と遊びに行った~などの投稿を見ると追い討ちかかるので。
ここまで書いて思ったんですが独占欲も強いのかもしれませんね。いや、強くなってしまったのか?

「来るもの拒まず去る者追わず」「さよならだけが人生だ」
こんな言葉を頼りに襲って来る不安をやり過ごしたりします。
本当、常日頃からそのくらいの心構えでいられたらいいんですけど。


嫌われたくない
少しでも人が離れていかないよう発言と行動に気をつけよう
本当は受け入れてほしい
でもそんなのは叶いっこない
こんな自分は嫌いだ
やり直したい
人の記憶から自分のことを消してしまいたい

まとめると、こんなところでしょうか。
見栄っ張りや自己保身や自己中が入り混じってもうカオスなことになってます。

この3つの要因が入れ替わり立ち替わり、時には混ざって顔を出すものだから、もう今すぐにでもリセットしてしまいたい。そうすれば終わらせられるような気がするから。
実際は何も変わらないのに。清廉潔白になったと勘違いして、「理想の自分」を抱えながら、また「1から自分を築いていこう」とするに決まってるんです。

でもネット上の関係に限って言えば、そんなことをもう何度も繰り返してきました。
相互さんが複数いるサイトを突如閉鎖したり。SNSのアカウントを何も言わず消したり。
そしてまた新しくアカウントを作る。
以前知り合いだった人達とは繋がらないようにして。

後悔しない訳ではないです。せっかくあの人と仲良くなれたのにと思うことだってあります。
だというのに、消した瞬間の安心感と爽快感が無くなりません。


関係を「無くされた」側の方がいるかもしれないので、これも書いておきます。
自分の場合ですが、「相手に不満を感じるから関係を無くしたい」というケースは殆どありません。
自分の弱さと自分への絶望に耐えられなくなってもうやめたいとなることが圧倒的に多いです。
相手は何も悪くないんです。友人になってくれた人は良い人ばかりでした。
全部自分のせいなんです。