思考体

メンタルのこととか、徒然

ブログについてと自己紹介 (固定記事です)

初めまして。閲覧ありがとうございます。
ここではこのブログについての注意点と簡単に自分のことを書いておこうと思います。 随時編集するので内容は変わる場合があります。

◼︎ブログについて
・一人称は主に「自分」を使用します。
なので文章が読みづらかったり判りにくい点が多々出てくるかもしれませんが、ご了承頂けたらと存じます。

・ブログの内容はメンタルのことが殆どになると思います。
閲覧の際は自己責任でお願い致します。
何が起こってもこちらでは責任を取れません。すみませんが宜しくお願い致します。

・このブログは、自分のことについて整理したい、頭の中に渦巻く考えを吐き出したい、気持ちを発散したい時などに使う予定です。

はてなブログはまだ初心者なので、見づらかったり変な表示が起きたりするかもしれません。
その場合はすみませんが直るまでご容赦下さい。

◼︎自分について
現在、不安障害と診断されています。
気分の浮き沈みが激しいです。
構ってちゃん気質です。


もう既にブログの記事を読んだ、もしくはこれから読むという方がもしいたら、ありがとうございます。
自分が記事を書くだけでもかなり疲れるというのに、全く無関係の貴方が読むとなると相当エネルギーを使うのではないでしょうか。
先にも述べた通り自分は構ってちゃんなので、こうして日記帳だけでは飽き足らずインターネットに掲載して発信している次第です。(本音を言うともし少しでも誰かの助力になれたらなという欲目もあるのですが…)
なので読んでくれた方がいるだけで書いた甲斐があったというものです。

精神の苦しみを抱えて生きている人達が救われますように。
2017/04/05

治療期間の過ごし方

ちょっと、行き詰まったかもしれないです。



自分が行なっている治療方は、抗不安薬で緊張・不安を和らげながら認知行動療法森田療法、カウンセリングといった精神療法で症状の改善を目指すものです。

このように、不安障害は己の考え方や気の持ち方を変えることで治療することが多いと思います。薬はあくまでも補佐でしかないわけですよね。

でも考え方を変えるのってすごく大変です。理屈では理解できても身体の方がなかなか追いついてくれません。

なので、治療には多大な期間を要します。



この期間をどう過ごせばいいのか。今かなり悩んでいます。



はっきり言ってものすごく辛いです。

抗不安薬は一時しのぎでしかないし、ぶっちゃけものすごく効きが良いものでもないです。(ちなみに自分は「クロチアゼパム5mg」を1日に3回 1錠ずつ飲んでます)

緊張・不安には効いたとしても、それを起こさせる大本の原因に効くわけではないので。根本的な治療にはなってないんですよね。

そこで精神療法を用いるわけですが、これも一朝一夕で身につくものじゃない。

効果が出るまでひたすらトレーニングを積んでいくようなもんです。



かといって休養をとれば確実によくなるというわけでもないので。

治るまで毎日毎日「不安」というどす黒い塊を身体の中に抱えながら生きていくしかない状況です。



もう、とにかく耐えるしかないんですけど、本当に辛い。

本音を言えば休学したいです。逃げたいです。こわいです行きたくないです

でも、いつか復帰したいと思えた時、留年して通うか別の学校を再受験するかになるのは明白です。多分、どれを選んでも自分にとってかなりの負担になることでしょう。

(一応書かせて下さい。留年や再受験を否定する意図はありません。

でも自分にはそれを受け入れて前向きに頑張れるだけのキャパを作れる自信が無いんです…。)



休んでも負担。休まなくても負担。

それだったら休まない方が諸々のリスクが少ない…と思いました。

だから暫く頑張って通学しようと自分に言い聞かせてますが…。うん…。



冒頭で行き詰まったと書いた理由は他にもあります。

この間までは春休みだったので平日の昼間でも病院に行ってカウンセリングを受けられました。

しかし新年度が始まった為それが難しくなってしまいました。

自分としては土曜に行けたら一番都合が良いんですが、やはり混み合うそうで次の予約が取れるのが来月になるみたいです…。

今までは週に1度くらいのペースで通えていたのに。



学内の相談室とスクールカウンセラーにも話したと前回の記事に書きましたが、その方達はメンタル専門のカウンセラーとはちょっと違うんですよね…。なので相談もしますが、主に「話を聞いてもらう」という使い方をしています。

相談して、じゃあどうやって治療していこうか決めるのは病院のカウンセラーに任せていたんです。



個人的に、病院のカウンセリングに行ける頻度がぐっと下がるのは辛いものがあります。

カウンセリングを受けることで少し前向きな気分になれることもあったので。

次の予約まであまりに遠すぎるのは、正直かなりの不安が募ります。

仕方ないんでしょうけどね…。精神科は混み合う所が多いって聞きますし。



いつ治るのかわからないまま耐える治療期間。
少しでも楽に過ごす方法があったらいいのに。

前回病院に行った後でふと湧き出てきた悩みなので、次の通院時には先生にも相談しようと思います。もし良い案を見つけられたらまた記事にしますね。

今はとりあえず吐き出させて下さい。

トラウマと向き合う勇気を持ちたい

こんにちは。

不安障害の方は中々よくなりませんが、自分なりに相談できる場所を増やしていってます。自分は学生なので学内の相談室に行ったり、数年前にお世話になったスクールカウンセラーの方にまた連絡を取ったり。

頼れる人、話を聞いてくれる人は多い方が良いと思ったので。



そんな中で、気づいたことがありました。



自分は小学生の頃の出来事をきっかけに対人関係の不安を抱えるようになったわけですが、その出来事をカウンセリング等で打ち明けるのがどうにも苦手でした。

トラウマだから思い出したくないのもありますが、何よりとても恥ずかしかったんです。



自分の中には、本当は強い自分がいると思いたかったので。挫折の過去なんて汚点でしかない気がしました。



(そういえば不安障害になった人の特徴に「弱い自分を認めたくない性格である」ことが多いそうです。

過去にこんなことがあったんだから自分なんて駄目だという自己卑下と、大丈夫、自分は強いんだから気にするなという自己肯定が同時に加速していって、大きな自己矛盾を抱え込んでしまいどうしようもできなくなった人は多いのではないでしょうか。

一種の完璧主義ともいえるかもしれません。)



汚点なんだからそんなものを直視して自覚なんてしたくない。できればこのまま忘れてしまいたい。

だから人にも話したくない。



そんな気持ちをずっと拗らせていたので、一番打ち明けなきゃいけないことを隠していました。



でも最近、自然と話せるようになっていることに気付きました。

理由は判らないけど…話さないで苦しむことに耐えられなくなったのかもしれないし、不安障害の診断を貰えたことで「病気なんだから治そう」と強く思えるようになったのかもしれません。



カウンセラーや医者以外の人にカミングアウトするのは正直まだこわいです。

(学内の相談室から、専攻の教授にも打ち明けた方がいいと言われてまして…)



でも何もしないよりずっと良い。

つい悪い結果ばかり想像してしまいますがそうなるとは限らない。

だからきっと近い内に教授にも打ち明けると思います。



こんな考え方ができるようになるだなんて、自分にとっては大きな前進だと信じたいです。



ドストエフスキー著「地下室の手記」には「意識しすぎるのは病気である」と書かれていた。

そうなんです、病気なんです。

だからきっと(完治までいかなくとも)症状を軽くしてうまく付き合う方法だってあるはず。


リセット症候群とやらでしょうか

自分は、自分のことを知る全ての人から消息を絶ちたいと思うことが度々あります。
理由は主に3つ。

①関係が壊れる前に壊してしまいたい
小学高学年の頃、クラスメートだった友人達とあまり話さなくなった時期がありました。向こうがそれとなく自分を避けていたからです。 それに気づいた自分は、自分からも接触しないようにしました。
休み時間を1人で過ごし、下校になったらさっさと帰っていました。

避けられた理由は判りません。それまでは普通に会話したりしていたんですけどね。
小学生だったんで大した理由など無かったのかもしれないです。何となく、肌に合わないから、とかそんな感じだったのかも。
喧嘩した覚えは無いですし、(記憶する限りでは)自分が何かやらかした訳でもありません。

でもそれが未だに自分の奥深くで渦巻いています。
根を張ったようにしがみつき離れません。
そんな昔の些細なこと忘れろよと思えば思うほど心に重くのしかかってきます。

そんなこんなで、上記のことだけが原因ではありませんが友人知人が増えてもいつかこの関係は壊れると思ってしまい、それを恐れ、そうなる前に自ら壊してしまいたいと思うようになってしまいました。

自分のもともとの性格は構ってちゃん且つ構いたがりなので。色々経験する中で対人恐怖も発してしまいましたが本当は人が好きでした。
だから縁が増えることは嬉しいことのはずなんですが。
いつか嫌われるんじゃないかという恐れが消えて無くなりません。見捨てられ不安に近い感じ。

関係が良好なうちに、気持ち良く終わらせてしまいたい。


②理想の自分になりたい
今、自分が嫌いです。
だから理想の自分というものが存在します。

なるべく長く関係を保つために、そしてその理想から少しでも離れない為に、相手にとって良い印象でいたいと思ってしまいます。
(実際にそうなれているかは別として、) それ故に、日常的に「この発言をして大丈夫だろうか」「この行動を取っていいだろうか」等と考えながら動くことをしています。
場面がTwitter等のSNSに変わると、「この投稿をすることで自分の印象が悪くならないか」とよく吟味・推敲したうえで投稿します。
もちろん「あの発言・行動は悪くなかったか?」といった反省会や振り返りもセットです。

本当はそんなこと気にせずありのままでいたい。
でもそうしたら絶対後悔するから、自分の心が掻き乱されないためにも「自分が見てて安心できる自分」を作り出します。

非常に疲れます。
ですが見てわかる通りこの思考の困ったところは、やめたいと思う反面、良い印象を持たれる自分でいなければ(いたい) という…強迫と願望が混ざったような気持ちがある点です。
人に好かれる自分が理想で、失望されたくないから。
好かれるかどうかなんて実際のところわからないのに。

でも、嫌われる可能性は減りますよね。

ストレス源になったとしても、理想の自分に近いと思える内は安心感を得られるから。
だからやめようとしても、ますます不安になってしまうんです。
自分を繕っても理想の自分に近づく訳じゃない。そもそも、そんな歪んだ理想像は捨てなくちゃいけない。
わかっちゃいるのになぜ出来ない。

そして少しでも「ミスをした」と思うと、全て台無しになったような気がして、一からやり直したくなります。


境界性パーソナリティ障害の影響(かも)
(かも)を付けたのは、境界性パーソナリティ障害については自己診断だからです。
ネットで見つかるようなチェックシートで診断しました。9割当てはまりました。ワハハ。

境界性パーソナリティ障害の特徴の中に、「試し行為」というものがあります。
ざっくり言うと自分を受け入れて欲しいがために人に嫌われそうな行動をわざと取るというものですね。
境界性(以下略)の人はこの「受け入れてほしい欲」が強い人が多い訳ですが、例に漏れず自分もとても強いです。
でもそんなこと人に言えません。そんな容量の大きい人間なんて滅多にいない。自分のことで精一杯って人が基本。
それに、打ち明けることでドン引きされたりしたらたまったもんじゃない。だから尚更言わない。

受け入れてほしい欲が満たされないでいると、だんだん疲れてきます。
友人はいるのに寂しさ虚しさが消えないという悪循環。
あの人達は自分と会話したり遊びに行ったりしてくれるけど、それは自分だけじゃない。対象になる人は他にも沢山いて、自分はその内の1人でしかない。
いつまでも自分と繋がっていてくれる保証なんてない。信頼を築くのは大変だけど崩すのはあっという間だ。相手の気分が変わればこの関係が終わる可能性なんていくらでもある。
それなのにいつまでこんな気を揉んでまで関係を保たなきゃいけないんだ。自分は一体何をやってるんだ。もうやめたい。

こんな思考がわいてきます。
最後の方にいくともう逆ギレとか開き直りに近いですね。我ながら呆れる。
受け入れてもらえないなら、せめてなるべく離れていかないようにしようと、②で書いた行動を取ります。

「友人」に対して求めるものが大きすぎるだろという自覚もあります。
お前のかーちゃんじゃねえんだぞって話ですよね。
友人になってくれる人がいるだけマシだろとも思います。

Twitterでリア垢を持っているんですが、なるべく見ないようにしました。
誰々が誰々と遊びに行った~などの投稿を見ると追い討ちかかるので。
ここまで書いて思ったんですが独占欲も強いのかもしれませんね。いや、強くなってしまったのか?

「来るもの拒まず去る者追わず」「さよならだけが人生だ」
こんな言葉を頼りに襲って来る不安をやり過ごしたりします。
本当、常日頃からそのくらいの心構えでいられたらいいんですけど。


嫌われたくない
少しでも人が離れていかないよう発言と行動に気をつけよう
本当は受け入れてほしい
でもそんなのは叶いっこない
こんな自分は嫌いだ
やり直したい
人の記憶から自分のことを消してしまいたい

まとめると、こんなところでしょうか。
見栄っ張りや自己保身や自己中が入り混じってもうカオスなことになってます。

この3つの要因が入れ替わり立ち替わり、時には混ざって顔を出すものだから、もう今すぐにでもリセットしてしまいたい。そうすれば終わらせられるような気がするから。
実際は何も変わらないのに。清廉潔白になったと勘違いして、「理想の自分」を抱えながら、また「1から自分を築いていこう」とするに決まってるんです。

でもネット上の関係に限って言えば、そんなことをもう何度も繰り返してきました。
相互さんが複数いるサイトを突如閉鎖したり。SNSのアカウントを何も言わず消したり。
そしてまた新しくアカウントを作る。
以前知り合いだった人達とは繋がらないようにして。

後悔しない訳ではないです。せっかくあの人と仲良くなれたのにと思うことだってあります。
だというのに、消した瞬間の安心感と爽快感が無くなりません。


関係を「無くされた」側の方がいるかもしれないので、これも書いておきます。
自分の場合ですが、「相手に不満を感じるから関係を無くしたい」というケースは殆どありません。
自分の弱さと自分への絶望に耐えられなくなってもうやめたいとなることが圧倒的に多いです。
相手は何も悪くないんです。友人になってくれた人は良い人ばかりでした。
全部自分のせいなんです。